林間学校

(くそ、眠れねえ)
 薄暗いテントの中、陽介は心の中で一人ごちた。原因は分かっている。空腹のせいだ。なぜこの飽食の時代、しかも利便さにおいてもトップクラスを誇るこの日本において、飯も食えずすきっ腹を耐え忍ぶ事態にならなければならないのか。
 寝返りもままならぬ狭苦しい状況の中で陽介は身じろぎした。

 今から起きだして、そのまま捨て置いたあの怪しげなカレーとあいつらが称していたものを食べにいこうか? 陽介は一瞬考えたが、自殺行為はやはり止めようと思いとどまった。今、あれを口にしたら確実に死ねる気がする。
 大体どこをどうしたらあんな物体Xができるのか。カレーなんて切って、炒めて、煮て、ルー放りこむだけでそれなりものができるはずなのに……今日び、小学生の女の子でもあれよりましなの作るわ。そもそも材料の時点で怪しいよな。あのぶよぶよしたのや、じゃりじゃりした食感はじゃがいもや人参からは絶対出ないものだ。いったい何が入っていたんだ、あれ。買物に付き合ってた月森は、なぜあいつらがおかしげなものをカゴに入れ始めた時に止めなかったんだ。陽介は、早々と別の階に自分の買物に行ってしまった己の行為を棚上げして月森にまで怒りの矛先を向けた。
 眠れないのでダラダラととりとめもなく考える。ああいうのがメシマズになるんだ。味見もせずに出すってどういう神経してやがんだ。自分が食えないものを人に出してんじゃねーよ。料理ってのは見目だけよけりゃいいってもんじゃねえんだからな。と、ここまで考えてからふと思った。あん時に出てきた飯、見た目も匂いもすごかったよな……今にして思えば、なぜあれを目の前にしたときに俺は口にしようと思ったんだろう。
(女子の手料理に夢見すぎてたんかな……)
 陽介は小さくため息をついた。イライラを募らせたために余計に空腹が増す。そんな時。かすかに人の動く気配を感じた。息をひそめて耳を澄ます。向こうの方からわずかに声が聞こえてくる。
「んん……」
 一気に緊張が増した。まさか……
「ゆ、雪子……」
 衣擦れの音とともにこちらに小さく聞こえてくる声。これ里中の声?
「だめ……ん、聞こえちゃう……」
(ええええ、何しちゃってんのこの人達!?)
 まさか、天城と里中がそういう関係? 顔が一気に赤くなるのが分かる。
「大丈夫よ……」
 でた常套句。本来なら何がどう大丈夫なのか小一時間問い詰めたい発言であるが、今は問題ないので良しとする。音が聞こえる。ひょっとしてキスだろうか。女同士の、キス……
「……っふ……」
 漏れ聞こえてくる吐息。天城って難攻不落だと思っていたが、男の趣味がうるさいんじゃなくて実はこっち系だったから? なんかもぞもぞ音がする。どこぞに手でも忍ばせたんだろうか……
「や……んん」
 それに里中……肉肉うるせーとしか思っていなかったが普段とのギャップのせいか、すげー……声エロい。やばい。
「っあ……!」
 かすかに響いてくる声。どんな顔をして喘いでいるんだろう。
 よし。寝てて寝返りを打つのはよくあることだ。なので、そういう風に見えるように――

 そっと寝返りを打った。
 こちらを向いていた月森と目が合った。
 思わず声が出そうになったが、奇跡的に耐えた。そういやこいつがいた。月森と目が合ったことで初めて自分が一番端に寝ていたということに気づく。
 狼狽している陽介に月森はニヤッと笑いかけたかと思うと、寝返りを打つようにして向こうを向いた。
(こいつ……)
 温厚であることにある程度自負はあったが、この時ばかりは殺意を覚えた。
 こちらの寝返りの音を聞いて警戒したのだろう。しばらくは静かだったが、また二人の方からひっそりと音が聞こえてきた。
 二人が動くたびに聞こえる衣擦れの音。漏れ出る息遣い。
「千枝可愛い……」
「っん……は……」
 男の背中なんか見てもしょうがないので目をつむる。気配と音だけの世界は変に想像力をかきたてられた。こらえきれずに出てるであろうくぐもった声が耳に響いてくる。
「……ぁ、っんんん……!」
 まんじりともしない夜が過ぎていく。

 どれほど時が過ぎたのだろう。静かになって少したった頃、誰かが近づいてくる気配がした。陽介の身が強張る。
「ねえ、起きてよ」里中だった。
「……ん?」今起きたふりをして返事をする。
「夜が明ける前に向こうに戻りたいから、完二君を連れ戻すの手伝って」
「あ、ああ、そうだな」
 俺はいったい何を期待したんだ。陽介は今の自分の表情を悟られぬよう立ち上がった。隣を見ると天城が月森を起こしていた。

「無駄に筋肉つけやがって。重いんだよ……」
 悪態をつきながらも二人で完二を運びテントに横にならせ、人心地つく。月森と目が合った。何をしゃべったものか逡巡している陽介に対し、
「やっぱりリアルAVは一味違うな。陽介も真ん中で寝ればよかったのにな?」
 言うだけ言って、陽介の返事も待たず「おやすみ」と完二とは反対側に横になる月森。今頃真ん中になっても意味ねえんだよ! 陽介は月森をひとしきり睨みつけた後、完二に視線を移した。
(くそ、こいつがここに来なけりゃ絶っ対端なんかで寝やしなかったのに……!!)
 苛立ちに任せて完二の尻を蹴飛ばした。そもそも完二が来ていなければ、天城たちのところに完二が突入する事態にならず、結果二人がここにやってくることもなかったであろうことは完全に失念している陽介であった。

 飯盒炊飯で失敗したやつ、片づけずにテントに戻っちゃってた気がするんですが、気のせいでしたっけ?なんにしても陽介には不幸が似合う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です